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MORIZOT, Louis pere

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ルイ・モリゾー・ペレ(父) (1874-1957)

ルイ・ジョセフ・モリゾ(またはモリゾ・ペール)は、1901年頃から1914年頃まで、ウジェーヌ・キュニオ=ユリとシャルル・ニコラ・バザンの下で働き、弓作りを学んだ。その後、モリゾはウジェーヌ・サルトリーの下で働き始めたが、彼のモデルはバザンの作品に忠実であり、彼はしばらくの間マイター・ジョイントを使い続けた。1920年頃には、サルトリースタイルのフロッグを採用し、全体的に洗練された優美な、決定的なモデルに落ち着いた。1920年頃からモリゾの息子たちが彼の手伝いをするようになり、彼らの助けもあって、ミレクールの工房は非常に生産性が高く、有名になり、フランス内外の数多くの企業に製品を供給するようになった。1933年、彼は息子たちと正式なパートナーシップ 「Morizot & fils 」を結び、それは息子たち自身による強固なコラボレーションへと発展した。モリゾはキャリアを通じて2種類の 「L. Morizot 」スタンプを使用し、どちらも息子たちが使用している。

Louis Joseph Morizot, or Morizot père, learned bow making from Eugène Cuniot-Hury and Charles Nicolas Bazin, for whom he worked from about 1901 to about 1914. Morizot then began working for Eugène Sartory, though his model hewed closely to the work of Bazin and he continued to use miter joints for some time. By 1920 he had settled on a definitive model, which employs Sartory-style frogs and is generally refined and graceful.

Morizot’s sons began to assist him around 1920, and with their help the Mirecourt workshop became extraordinarily productive and well-known, supplying numerous firms in France and abroad. In 1933 he established an official partnership with his sons, “Morizot & fils,” which developed into a robust collaboration between the sons themselves, whose joint output both before and after their father’s death in 1957 is described as the work of “Morizot frères.” He used two different “L. Morizot” stamps throughout his career, both of which were also used by his sons.

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MORIZOT, Louis Joseph  通称 ‘Morizot pere’1874 – 1957

ルイ・ジョゼフ・モリゾー

ルイ・ジョゼフ・モリゾーは20世紀に最も多くの弓を生産した弓製作者の一人として、現在広く知られています。彼は次回紹介する予定の‘Morizot freres’(兄弟)の‘pere’(父親)にあたります。

ルイ・モリゾーは、クニオ・ユーリ、ニコラ・バザンそして弓製作の巨匠ユージン・サルトリーに付いて、弓製作を学びました。しかし、独立後には、歳も近かった二人はお互いを意識した製作者として対立した関係になり、一切共同して弓を製作するような事はありませんでした。

【 Louis Joseph MORIZOT の生涯 】

1874 フランスの Darney で生まれる。

父親の Nicolas Constant は金属加工工場で働いていた。母の Catherine Maline は弓製作者 Nicolas MALINE の妹であった。彼は CUNIOT-HURY の下で弓製作を学んだ。

1898 24歳 Marie Louis Burdon と結婚し、後に6人の子供を設けた。

1901 27歳 しばらくして、多くのフランスの弓製作者と同じ様に、Charles Nicolas BAZIN 工房に弟子入りし、沢山の同僚と共に弓製作の技術をみがいた。

彼の初期の頃の弓は、この工房の影響を非常に強く受けている事が分かる。

1914 40歳 BAZIN工房を出て、Eugene SARTORY のアシスタントとして働き始めた。

やや BAZIN スタイルが残っていた。

第一次世界大戦で仕事を一時中断。

1918 44歳 Sartory が軍隊から戻り、仕事を再開した事からアシスタントとして再度仕事についた。彼は主にフロッグやスティックの荒削りを担当していた。

1919 45歳 独立して、ミルクールの St. Georges 通りに自分の店を構えた。

この時期の彼の弓はとてもエレガントで Sartory の物によく似ている。

1920 46歳 息子達が工房で共に働くようになった。

1925 51歳 息子達の協力もあり、Louis Morizot は大量の弓を生産し、その名を広めていった。

彼はミルクールの殆どのバイオリン工房の為に弓を製作していた。

1927 53歳 職人の技を競う大会‘Artisanale’で優勝した。

1933 59歳 息子達と共に工房を構え、“Louis MORIZOT & fils”と名前を改めた。

かつての師であった C.N.Bazin の様にフランス国内、また海外のバイオリンメーカーの為に弓を製作し販売していた。

1947 73歳 歳とともに視力が低下し、弓製作をリタイヤしたが、出来る限りの息子達のサポートは続けていた。

1957 83歳 8月15日にミルクールで他界した。

ユージン・サルトリーが当時から卓越した製作者でフランス国内外でも有名であったことは既に説明しましたが、ルイ・モリゾーが、そのサルトリーの工房で共同して弓を製作していたという経験を自分の商売の宣伝に使用していた事が発覚し、サルトリーに反意をかったようです。

ルイ・モリゾーの製作した弓は出来栄えも材料の選択も優れていて、現在多くの演奏家に支持されています。時折彼の弓のスティックに汚れや傷のようなものが見られる材料を用いているものもありますが、それらは弓のバランスや演奏面にはあまり問題はないでしょう。


Tarisio

ルイ・ジョゼフ・モリゾー(モリゾー父)は、1901年頃から1914年頃までエジェーヌ・クニオ・ユリーとシャルル・ニコラ・バザンのもとで弓作りを学びました。その後エジェーヌ・サルトリーの工房で働きましたが、初期のモデルはバザンの影響を強く受け、しばらくは留め継ぎを用いていました。1920年頃にはサルトリー風のフロッグを取り入れた、洗練された独自のモデルを確立しました。  

1920年頃から息子たちが製作を手伝い始め、工房はフランス国内外の多くの業者に供給するほど非常に生産的で有名になりました。1933年には息子たちとの正式なパートナーシップ「Morizot & fils」を設立し、父の死(1957年)前後には息子たちの共同作業が「Morizot frères」の作品として知られるようになりました。モリゾー父は生涯で2種類の「L. Morizot」刻印を使用し、息子たちも同じ刻印を用いました。