ニコラ・メヤー
フランス弓辞典 “French Bow Makers”
MAIRE, Nicolas Remy1800 – 1878
ニコラ・レミー・メアー
ニコラ・レミー・メアーは19世紀初めに生まれました。メアーの活動時期にフランスは革命直後の経済危機の混乱の最中でありました。メアーはその影響を受け、経営難などに陥った時もありましたが、弓製作の才能を発揮し、世間の評判を得て、大量の弓を残しました。その為、現在にも多くの支持者がいます。
【 Nicolas Remy MAIRE の生涯 】
1800 12月29日 ミルクールで生まれる。
父親 Sebastien Maire は織物師であった。Nicolas MAIRE はミルクールの弓製作者 Etienne PAJEOT の下で修行したと考えられる。
MAIRE の初期の頃の弓は E.Pajeot と ADAM に影響を受けている。
1826 26歳 ミルクールに自分の店を構え、製作した弓には“N.MAIRE.”という刻印を使用したが、最後のピリオドはすぐに使用されなくなった。
“N.MAIRE.”の刻印は1850年頃まで使用されていた。ヘッド:少し高めで、ほほが平ら。フロッグ:長くて少し低め。
1828 27歳 2月14日 ミルクールにて Anne Contal と結婚。その後彼は仕事上“Maire-Contal”という名前を使用した。二人の間には沢山の子供が生まれたが、その内の殆どが幼い頃に亡くなった。
1830 30歳 この頃からフランスの経済社会が徐々に崩れ始め、多くの人に影響を与えた。Maire もその内の一人で経営困難に陥った時に販売を一時中断したが、彼はこの間も弓を製作し続け、しばらくして販売も再開した。
E.Pajeot 工房は経済危機の中でも商売が繁盛していた。この時期製作された弓にはスタンプの押されていないものがある。
1837 36歳 息子の Francois Nicolas が生まれた。彼は後ほど父親について弓製作を学び、製作者となった。
1844 44歳 この頃、店はとても繁盛し、年間約4,000本もの弓を生産していた。工房では約15人以上もの職人が雇われ、働いていた。さらにこの年にパリで展示会が行われ、Maire は自分の作品を出品するように依頼された。
自分の店を経営しながらも、師匠である E.Pajeot のアシスタントを続けていた様で、この時期の弓のスタイルも非常に良く似ている。
1849 49歳 師匠の Pajeot が他界した事をきっかけに Maire はパリで仕事をする事を決心した。
1853 53歳 パリの Viarmes 通りに店を構える。この頃彼は自分のブランド以外にも、J.B.VUILLAUME や CHANOT の為にも弓を製作していた。
この頃の弓は Dominique PECCATTE のスタイルで製作した。特にヘッド部分は見間違えるほど、よく似ている。
1855 55歳 この頃店の名前を“FRANCOIS-MAIRE”と改名。おそらく息子の名前から取ったものと考えられる。
彼の弓は当時の流行に沿って徐々に良くなっていった。
1866 66歳 この年の7月から店の名前をシンプルに“MAIRE”に改名した。
1876 76歳 パリのはずれのモンマルトルにある Burq 通りに引っ越した。
1878 77歳 7月17日に他界。
ニコラ・レミー・メアーが最後に過ごしたモンマルトルの仕事場は、彼の義理の息子で弓職人のEtienne Jules Hildibrandが引き継ぎました。息子のフランソワはミルクールに店を構えましたが、あまり商売が上手くいかずに、破産してしまったようです。
ニコラの死後しばらくして、妻は彼が製作した弓やスティックの材料を、彼が生前親しくしていたバイオリン製作家シャノの工房に委託しました。