ジャコモとレアンドロ(Ⅱ)は共同で会社を経営し、楽器に連名のラベルを貼っていた為、一緒に説明されることが多い製作者です。
レアンドロ・ビジャッキ(Leandro Bisiach 1864-1945)の三男として1900年にジャコモが、1904年に末っ子のレアンドロ(Ⅱ)が生まれます。
父親と同名のレアンドロは、区別するために“レアンドリーノ”(Leandrino)と家族から呼ばれていました。
その当時ビジャッキ家族はシエナに住んでおり、兄のアンドレア(Andrea Bisiach1890-1967)やカルロ(Carlo Bisiach 1892-1968)も弦楽器製作に従事していた為、15歳からレアンドリーノも弦楽器製作を始めます。
父親のレアンドロは、同時期にシエナに暮らしていたイジーノ・ズデルチ(Igino Sderci 1884-1982)にジャコモとレアンドリーノの製作指導を頼みます。もともとレアンドロやカルロの仕事を手伝っていたイジーノ・ズデルチは、その後もビジャッキ・ファミリーと長く関係を続けることになります。
当初ジャコモはチェロの演奏を勉強していましたが、18歳で兵役を終えてシエナに帰ってからは、弦楽器製作を手伝い始めます。
兄弟は1921-24年までシエナに留まりズデルチの下で勉強し、レアンドリーノは兵役が終わる1926年にミラノに戻ります。
1932年にジャコモとレアンドリーノは共同で会社を始めます。1934年にはコルソ・マジェンタ(Corso Magenta27)に店を構えます。
※1943年に戦争の為、一時的に父親のヴェネゴノの別荘に会社を移しています。
ジャコモとレアンドリーノはそれぞれ、役割を分担して仕事をしていました。
レアンドリーノは楽器製作と雇っていた職人への指示だけでなく、接客や古い楽器の鑑定や売買、修理も担当しました。
当時彼らの会社にはイジーノ・ズデルチと息子のルチアーノ(Luciano Sderci 1924-1945)、カミリオ・マンデリ(Camillo Mandelli 1873-1956)、ピエロ・パラヴィッチィーニ (Piero Parravicini 1889-1957) が楽器を提供をし、後の時代にはジュゼッペ・ステファニー二(Giuseppe Stefanini 1908-1992)も楽器を提供しました。
それらの提供された共同製作の楽器には[Giacomo&Leandro Bisiach]の連名のラベルを貼りました。※時期によって紙質や書体を変えています。
ジャコモはニス塗り担当として働き、楽器の音響調整でも有名でした。兄弟は父親の引退後も、それまでと同じく取引して収集した古い楽器の鑑定もこなしていました。
1972年に会社を閉め、レアンドリーノはヴェネゴノに移り、亡くなるまで製作を続けました。※この時期はレアンドリーノ独自のラベルを貼っていました。
こうしたビジャッキ・ファミリーの幅広い活躍がミラノ派のみならず、クレモナ派の復興とその後のイタリア弦楽器製作を大いに盛り上げる原動力となったのは間違いありません。
1982年(78歳) レアンドリーノ死去。
1995年(95歳) ジャコモ死去。
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Violin maker (fl. 1930 – 1973)
Youngest sons of Leandro Bisiach who worked together as dealers and makers. Most of their instruments were made in the white by employees of the firm. Both retired in 1973.
Liuteria Italiana(Eric Blot) Vol.2 Pag.171
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Great Italian Violinmaking(Artemio Versari) Pag.120
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ジャコモ&レアンドロ・ビジャッキ
Brothers: G. (born 1900), and L. (born 1904).
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Giacomo e Leandro Bisiach
Fecero in Milano l’A. 1947
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モダンイタリアンバイオリンメーカーを代表する父Leandro Bisiach Sr.に続き、”GIACOMO&LEANDRO BISIACH”ブランドは、世界中の演奏家・製作家・ディーラーの間で高い評価を受けています。
1932年、GiacomoとLeandro Jr.の兄弟は、会社を設立し、1972年まで数多くの楽器を製作しました。
主にStradivari・Guarneri・T.Balestrieri・C.Camilli・J.B.Guadagniniなどのモデルを用い、Iginio Sderci・Luciano Sderci・Piero Parravicini・Giuseppe Stefanini等の協力を得て製作されていました。